忍者ブログ
新書だけの紹介をしています。 知識欲と最新情報を新書で調べませんか!                   岩波 新書・中 公 新書・ちくま 新書・光文社 新書 朝日 新書・集英社 新書・ 文春 新書・新潮 新書
[183] [145] [146] [167] [182] [154] [181] [161] [152] [180] [148]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)
アルボムッレ スマナサーラ
サンガ 刊
発売日 2006-07



正しい怒りなどない 2007-09-17
 世の中で不快だと感じることは多い。殺人、強盗、競争…など枚挙に暇がないが、ひとつ共通の要素を持っている。「怒り」だ。怒りが人の気分を害することは誰でも経験的に知っている。しかし、怒ることがどれほど悪いことなのかを説明できる人は少ない。そこで、本書は仏教的な見解から怒りへの深い洞察を示してくれる。



 まず、スマナサーラ長老は、「幸福の仇敵である怒り」と表現している。人が怒っている時、対象を冷静な判断力をなくしてしまう。その人は相手も怒らせ、傍観者の気分をも害してしまう。つまり、人の心から生まれた怒りはまず自分のからだを燃やし、他人へも飛び火し幸福を奪ってしまう性質を持っているのだ。仏教では怒りを「炎」として表現する。なるほど燃やしてしまう性質は炎と同じだ。ほかのものを巻き込んで燃やせば、さらに火炎の勢いは増すように、怒りの炎も相手の怒りによってエスカレートする。したがって、スマナサーラ長老もおっしゃるように「正しい怒りなど仏教では成り立ちません。どんな怒りでも、正当化することはできません」(p69)なのだ。



 本書を読むのに前後して、太平の世をもたらした神様徳川家康を祀る日光東照宮へ行った。そこで見た家康公の遺訓と、本書における怒りの仏教的考察との多くの類似点に驚いた。



「人の一生は重荷を負て、遠き道を行くが如し。急ぐべからず。

不自由を常と思へば、不足なし。

こころに望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基。

いかりは敵とおもへ。

勝事ばかり知りて、まくることをしらざれば、害其身にいたる。

おのれを責めて人をせむるな。

及ばざるは過ぎたるよりまされり」



 両者とも、怒るのは自分が悪い。他人を赦してあげなさい。怒りを容認してはならないという点が一致している。これは実際、太平の世の中を築いてきた者の智慧である。やはり「正しい怒り」はないのだ、ということを諭された思いだ。




さらに詳しい情報はコチラ≫


PR


忍者ブログ [PR]
最新新書検索

amazon 最新新書検索へ

新書を直接検索するなら↓
最近の売れ筋新書
キーワードタグ検索
バーコード